つくりものがたりにっき

創作文章を載せているブログです

海を去る日

 この船は宝の船なのだ、と娘には言い聞かせて育てた。私は船乗りで、家族である娘も常に一緒に船に乗せている。岡へ戻ることはごくわずかで、海の上で暮らすことが人生そのものであると言ってもいい。
 ある日娘に、この小さな船のどこが宝の船なのか?と訊かれた。私はこの質問が来るのを待っていた。だから用意していた答えを告げた。
「この船はお父さんが作ったんだ。そして、この船のあちこちにお母さんの手がかりを散りばめておいたからだよ」
 それを聞いた翌日から娘は、船の中をいろいろ探して回るようになった。あの子は母親の顔を覚えていないはずだ。それでも、やはり本能的に求めるのが母親というものなのだろう。
 そして娘は気付いたようだ。この船のあちこちに木材とは異なる白い材質が使われていることに。それら全てを集めると、人ひとり分の骨になると気づくのはいつになるだろう?
 娘がそれに気づく日が、私が海を去る日なのだ。

右側の言葉

「?」
 イヤホンをして音楽をかけた時、すぐに違和感に気付いた。右側から音が出てこない。まいった、断線か。
 しかし断線なら、コードの位置を調整することで音が聞こえるかもしれない。俺は右側のイヤホンのコードを触って、あちこち動かし始めた。ザッ、ザッ、と一瞬音がする箇所がある。うまくそこでコードを固定できないかと思ってコードを動かす。だいたいどこら辺で音がするようになっているのか、把握できてきた。多分、この辺りだ。幸い電車の椅子に座っているし、頭を動かさなければこの位置でコードを固定できそうだ。
 そう思った時、もう一つ違和感に気付いた。
「あなたの……寂しさが……」
 イヤホンの右側と左側で、聞こえてくるものが違う。左側ではいつも聞いている音楽が鳴っているのに、右側からは断片的な言葉しか聞こえてこない。というか、断片的にしか認識したくない。これはホラーだ。俺は怖くなって、右耳のイヤホンを慌てて外した。
「あなたの……寂しさが……」
 俺はゾッとした。イヤホンを外したのに、右側の言葉はまだ聞こえてくる。俺は立ち上がり、逃げるため電車を降りた。だが、声は追いかけてくるのだ。だんだんはっきり聞こえてくる。はっきり認識してしまう。声は、こう言っていた。
「あなたの命があれば、私の寂しさがまぎれるの」
 一体なんなんだ、なんなんだよ、これ!
 俺は逃げるため闇雲にホームを走った。しかし、慌てすぎてホームの端から足を外してしまう。そこに、電車がやってきた。
 そうか、幽霊ってのはこうして人を呼ぶのか。そう思いながら、俺の命は散った。あいつのところに行くのは嫌だな、最後に思ったのはそんなことだった。

暗闇のなかで

 僕は暗闇が大好きだ。正確には、暗闇の中で彼女とイチャイチャするのが大好きだ。見えるところでイチャイチャする方が萌えるという友人もいるけれど、僕の場合はよく見えない中で妄想を膨らませながらイチャイチャするのが良いのである。

 私は暗闇が大好きだ。暗闇の中では見たくないものを見ないで済むからだ。見えないものは怖くない。例えば、拳とか、舌とか、そういうものが見える方が私は怖い。

 彼女も暗闇が好きらしい。よく見えない方が怖くなくていいのだという。何が怖いのかと聞いたことがあるが、見えるものが怖いと言っていた。正直よく分からない答えだったが、彼女も僕も暗闇が好きだということで性格が一致しているのだから、何も困ったことはない、そう思った。

 彼も暗闇が好きらしい。よく見えない方が色々妄想できて楽しい、と言っていた。本当に私と彼氏は気が合うと思う。私が見たくないものを見ないでいてもらえるのは、本当に助かる。

 僕は暗闇が大好きだ。だが友人に、たまには見える中でイチャイチャするのもいいもんだぞ、と言われ、じゃあたまには明かりをつけてみるかと思った。彼女には何も言わずに、ただ明かりをつけた。

 私は暗闇が大好きだ。だから、彼と一緒にいる時は明かりを消しているし、服を脱いだ後だって暗いままだ。だけど、その日は突然明かりがついた。

 僕は明かりの中、彼女が怖いと言っていたものは何なのか、直感的にわかった。お腹に大きくついた手術の跡。これのことを彼女は見たくなかったのではないだろうかと。

 私は明かりの中、彼が気づいたことがわかった。お腹に大きくついた手術の跡。私がずっと目を背けてきた傷跡だ。そして、彼の拳がふと目に入った。その拳は、私が蓋をしていた記憶を開く最後のきっかけだった。

 僕は慌てて明かりを消した。彼女が卒倒しそうなくらいに真っ青な顔をしていたからだ。この明かりは点けてはいけないものだった。もう、取り返せないくらいに酷いことを彼女にしたのだ、そう思った。

 私は戻ってきた闇の中で、自分でもわかるくらい体が冷えているのを感じた。でも、闇が戻ってきたことで多少は落ち着いてきた。しかし、開いた記憶はすぐに押し込むことができない。私は、彼に何があったのか話をすることにした。

 彼女は暗闇の中で、ぽつりぽつりと語り始めた。彼女は父親と二人暮らしだったということ。彼女の父は彼女を殴る人だったということ。父は恐怖と憎しみそのものだったと。だがある日父と一緒に交通事故にあって、父は死んでしまったということ。そして、手術の跡は……。

 彼に暗闇の中で、私は私の物語を語った。そして、手術の跡。これが一番見たくないものなのだと。この手術の跡は、交通事故にあったときの治療のためにできたものだ。私は臓器が破裂しており、父は脳死状態だった。医者は、せめて私を助けるために、父の臓器を私に移植したのだ。

 部屋は暗闇の中だったけど、彼女が泣いているのは簡単にわかった。見たくない傷。憎んでいた父が今もまだそこにいて、そして彼女を生かしている。

 部屋は暗闇の中だったけど、彼は静かに強く、私を抱きしめくれていた。私の中で生きる父、私を生かす父。まだ許せていないことばかりだが、生きていなければこのぬくもりにはたどり着けなかった。

 暗闇の中、血流の音が聞こえる。それは誰の音なのか。彼か、彼女か、彼女の父か。しかしどんな血が流れていようと、生きている以上のことなどない。