つくりものがたりにっき

創作文章を載せているブログです

私の力になる1コマ

 私は自分で言うのもなんだが、売れっ子と言っていい漫画家だ。そんな私にも、人生に影響を与えた一冊がある。いや、人生を変えた一冊がある。それは、この古いマンガ雑誌だ。少し、長い話になる。

 

 私は子供の頃、厄介な病気を患い、家から遠い県外の専門病院に年単位で入院していた。その時に出会ったのが『あの子』だ。あの子も同じ病気を患い、やはり遠くから県を越えて入院していた仲間だった。仲良くなったきっかけは、同じマンガ雑誌を読んでいたことだ。それから大好きなマンガの話で盛り上がった。そして、お互いにマンガを描いていく交換ノートも始めた。私が描いたマンガの続きをあの子が描き、そのまた続きを私が描く。ノートの数は最終的には10冊近くになっただろうか。お互いに死を見つめることもある病気の中で、このノートの存在はなにごとにも代えがたい価値を持っていた。

 

 私は幸いにも普通の生活が望めるところまで、完治と言っていいほどの回復をした。だが、あの子の体調は未だ思わしくなく、私だけが先に退院することになった。その時、ノートの全てをあの子に預けた。あの子は泣いていたし、私も泣いた。また会おう、そんな約束をしたが、私は退院したら遠い家に戻ってしまう。その約束が難しいことはその時にもうわかっていた。

 

 それから私は学校に復学し、一見普通の生活を送れるようになった。だが、病気が奪っていった時間は残酷で、突然学校に戻されても私は環境にうまく馴染めず、居心地の悪さを感じる日々が続いていた。その居心地の悪さは学校に希望を持っていた私を不貞腐れさせるには十分で、何にも打ち込むことができない日々が続いた。

 

 そんなある日、あのマンガ雑誌を買って読んでいたら、新人マンガ賞の結果発表欄に目が止まった。片隅にあの子の名前がある。年齢も同じで、住んでいるところもあの病院のあった県だ。なにより、1コマしか掲載されていなかった絵があの子の絵だった。

 あの子はまだ頑張っている。

 そのことに気づいた時、私は今の自分が恥ずかしくなった。それからいろいろ考えたが、出た結論はさっぱりしていた。私もマンガを描こう。あの子のマンガがたった1コマだけでも私に届いたように、私もあの子にマンガを届けよう。そう思って、投稿を始めた。

 

 プロデビューしここまで来るまで、決して平坦な道のりだったわけではない。けれども辛い時はいつもあの雑誌を取り出し、あの1コマを見つめてきた。見ていると、いつでも勇気が湧いてくるのだ。

 あの子のマンガは、あれ以降目にすることはなかった。投稿をやめてしまったのか、どうしても掲載されなかったのか、それとも…。

 私のこの話は、古参の編集者には割と有名な話だ。そうした人たちの中には、あの時載っていたあの子の事を知っている人もいるかもしれない。実際、一度だけある古株の編集者が「実は…」と何かを言いかけた事もある。「やめて」と私は彼を止めた。彼の表情を見るに、その先は聞きたくない話だった。

 

 私はいつも想像する。あの子があの子なりの平和な日常を手に入れて、その日常の片隅に私のマンガが置かれているところを。

 それだけでいいのだ。それだけで、いい。

###〈今週のお題〉人生に影響を与えた1冊