つくりものがたりにっき

創作文章を載せているブログです

今年の抱負

 去年のクリスマス、つまりついこの間の話だが、俺は付き合っていた女と別れることになった。彼女は他の男から12月23日にサプライズプロポーズをされ、それを受けることにしたのだという。

 そいつと俺と二股をかけていたのか?と聞いたが、本人が言うところには二股ではなく、その男とは特に付き合ってはいなかったと。けれども、突然のプロポーズで心が動いたのだと言う。

 一方の俺は、確かにプロポーズの準備はできていなかった。だが、考えていなかったわけではない。それは今年の彼女の誕生日にしよう、そう思っていたのだ。彼女の誕生日は2月11日だった。

 彼女を引き止めることはしなかった。納得はしていなかったが、それで引き止めるのも虚しいように思ったからだ。

 別れ際、彼女は言った。

「引き止めないんだね」と。

 それを聞いて、試されていたことがわかった。そして、余計に腹が立った。この女は、俺たちが一緒にいた3年間をまるで信じていなかったのだ。俺の気持ちが、何一つ伝わっていなかった。

 だから、最後にひどいことを言ってやろうと一瞬思ったが、どんな言葉を言っても後悔しそうでやめた。そうして何も言わずに別れてきた。

 それからずっと、腹の中に怒りが溜まっていた。音楽を聴いたりバッティングセンターに行ったりしたが、気は晴れないうちに年が明けた。

 2017年。去年のように最悪にはしたくない2017年。振り切るための目標を立てねば、そう思いながらその数字を見ていてふと気づいたのだ。2017は素数だと。

 素数は孤独な数字と言ったのは誰だったか。

 今年は孤独の年なのか。そう気づいたら、ほんの少しだが息をつくことができる気がした。

 今年が孤独の年ならば、今年は独りでいることを楽しもう。いつかまた誰かと一緒になるのなら、その前にある独りの時間こそが貴重な俺だけの時間だ。そういう時間を楽しむのは悪くない。

 今年は独りを楽しむ。それが抱負だ。

 

 今週のお題「2017年にやりたいこと」

古本屋の猫

 僕が大学に入ってまず驚いたのは、教科書があまりにも大量で、しかも高いということだった。大学の講義はほとんどが週に1回しかないのに、その全てで違う教科書が必要になる。同じ教科が週に何度もあって、同じ教科書を使っていられる高校とは大違いだ。
 全部買ったら一体いくらになるのか。その金額を計算して、僕は同時にご飯代へと想いを馳せた。そして出た答えは、古本屋へ向かう、というものだった。大学の近くの古本屋なら、きっと先輩方のいらなくなった教科書が置いてあるのに違いない、そう思ったからだ。
 そして僕はまだ慣れない大学の周りを歩き回って、裏手に小さな古本屋を見つけた。通りから見える奥のレジカウンターでは、おばさんが静かに本を読んでいる。薄暗い店内に入ると、僕が期待していた通り教科書が何冊も置いてあった。
 値段を確かめるために本を手に取りラベルを見たが、僕は驚いた。定価よりも高いのだ。これは何かの間違いではないか?そう思って他の本も手に取ってみたが、どれも定価より高い値付けばかりだ。
 そして奇妙なことに気がついた。同じ教科書でも値段に差がある。もちろん、古本だから古さが違って値段に差が出ることもあるだろうけれど、使い込まれているように見える本ほど高かったりする。
 これにはきっと理由がある。奥のカウンターで相変わらず本を読んでいるおばさんを横目で見て、僕はそう直感した。
 僕は高い本と安い本の差を見つけるため、本をパラパラとめくってみた。すると、どの本にも書き込みがされている。その内容もよく読み込んでみて、ようやくわかってきた。高い本ほど書き込みがわかりやすく、教科書の内容がよりよく理解できるのだ。
 それに気がついた時、僕はここの本屋で全ての教科書を調達しようと決めていた。ここの本のためなら、ご飯代くらいは惜しくない、そう思った。
 そうしてたっぷりと時間をかけて本を選んで、おばさんのいるカウンターへ持って行った。おばさんは本を閉じて普通にお会計をしてくれたが、僕はこのおばさんに訊いてみたいことがあった。
「あの、失礼かもしれませんが、この本の値付けをしたのはどなたですか?」
 そう言った僕に、おばさんは目元だけ少し笑って、答えてくれた。
「私ですよ」
「じゃあ、これらの本の内容は全部?」
「わかってますとも。自分のところの商品をよく知らないようでは商売ができませんからね」
 そう答えるおばさんの話を聞いて、僕はめまいがするほど衝撃を受けた。信じられないほどのプロフェッショナルが目の前にいる…。
 僕は何も言えなくなってしまったが、一瞬経ってその態度が失礼だと思い何か話さねばと思い至った。けれども目の前の人のあまりの凄さにやはり声を出せずにいると、店の奥から顔を出している猫が「にゃーご」と鳴いた。
 その鳴き声が固まった時間をほぐしたのだろうか。おばさんが今度は口元まで合わせて柔らかく微笑んでくれた。
「またいらしてください。『いい本』を持ってきてくれたら高く買いますよ」

 それから僕は、必要な教科書は全てこの古本屋で買った。ここの本のおかげで僕の勉強は大変はかどり、優秀な成績で大学院まで卒業することができた。
 そして、これからも必要そうな本は厳選し、それ以外の本を売るために例の古本屋を訪れた。
 おばさんは、査定にしばらく時間がかかるからといってお茶を出してくれた。
 何か世間話をしたかったが、それでおばさんの仕事を邪魔してはなるまいと思って、僕は静かにお茶をすすっていた。
 おばさんが本をめくり、そしていつかの猫がやはり店の奥から顔を覗かせて「にゃーご」と鳴いている。
 そのうち、ちょっとだけ不思議なことに気がついた。おばさんが本を読む後ろから、猫が顔を覗かせてやっぱり本を覗き込んでいる。そして猫がひと声鳴くと、おばさんはその本を閉じてメモを取り、次の本へととりかかる。その不思議な連動は、全ての本を査定するまで続いた。
 6年間貯めた本は、ちょっとびっくりするほどの金額になった。おばさんはとてもニコニコしながら、
「いい本をありがとうね」
と言ってくれた。
 その言葉は、勉強と研究に打ち込んだこの6年間をねぎらってくれている言葉のようで、僕はなんとなく目頭が熱くなった。
「いえ、ここの本のおかげです。本当にありがとうございました」
「お気づきだろうけど、ここの本はね、こうやって少しずついい本になっていくのよ。あなたにこれからも、いい本との出会いがありますように」
「はい、ありがとうございます」
 そして僕は店を出た。最後に、背後からあの猫の鳴き声が聞こえて振り返ったが、もうその姿はなかった。
 外は快晴で、桜色に染まっていた。

青空をつくる

 雲ひとつない青空、それを描くのが私の夢だった。子供の頃の遊び場だった丘の上から見た景色、その青空がどうしても忘れられなかった。
 そのために私は必死に働いてお金を貯めた。青い絵の具は他の絵の具と比べてダントツに高かったのだ。宝石を砕いてでしか手に入れられない青。しかし私が描きたい絵にはその青がどうしても必要だったのだ。幸い町には新しく工場が立ち並び始め、働く場所には事欠かなかった。
 そうして働いて、何年が経ったことだろう。ようやく私は青い絵の具を手に入れるためのお金を貯めることができた。画材屋にびっくりされるほどの量の青い絵の具を発注し、それが届くまでの間、私は思い出の丘に本当に久しぶりに登った。そして空を見上げて愕然とした。空は工場の煙でくすみ、あの青い空などどこにも残っていなかったのだ。
 もうあの青空を描くことは出来ないのか……。そう思いながら、届いた大量の青い絵の具を見つめていた。この絵の具を手に入れたいがために、私は思い出の空を汚す手伝いをしていたという事実が、重い鉛のように私を悩ませた。そして、あの空があんなに汚れてしまったことに今まで気づかなかったことも辛かった。
 これからどうしようか。そう思いながら私はまたあの思い出の丘に登っていた。そこで私は、子供達が遊んでいるところを見かけた。そう、そうやって丘のてっぺんに立って、町を見下ろして、そして空を見上げて……、私が子供の頃に遊んでいた思い出の通りに遊んでいた子供達は、しかし空を見上げて「真っ黒だね」と言い合って、その場を去って行ってしまった。
 そうか、あの子達は私が愛したあの青空を知らない。ならば私が見せてやるしかないではないか。
 私はあの青空を描き始めた。絵を描いている時間のうち、実際に手を動かす時間は短い。思い出の奥深くに潜って、あの空を目に焼き付ける時間の方がずっと長い。だから時間はかかってしまったが、私はようやくあの青空を描ききった。
 そして子供達に見せに行ったのだ。この絵の光景はもう消えてしまったけど、この美しい空がこの町の上には確かに広がっていたのだと。

 それからもう何十年も過ぎた。そんなある日、私は招待状を受け取った。差出人はあの時絵を見せた子供。待ち合わせ場所はあの丘の下だった。私は一体何のことなのかと思いながら出向いた。もう壮年になっているあの子供が言った。あなたの絵が忘れられなくて、自分は排気ガス規制を作り、工場を変えたのだと。
 そうして丘の上に連れて行ってもらえた。丘のてっぺんに立って、町を見下ろして、そして空を見上げて、あの絵の青空を私は見た。消えたはずだった光景をもう1度目にして、涙が溢れて止まらなかった。