つくりものがたりにっき

創作文章を載せているブログです

鶴が去る必要はない

 僕はその日初めて、綾花さんに会いに行った。綾花さんはネットで知り合った女性で、とても気が合った人だ。直接話をしたいね、という話になり、今日待ち合わせることになったのだ。
『ayahanasaori「今待ち合わせ場所に着きました」』
 僕の視界に、綾花さんからの連絡が浮かぶ。メガネ型のウェアラブルディバイス、通称グラスが一般化してから、もうずいぶん経った。
『わかりました。ビーコン出しますね』
 僕はそう言って、自分の位置を知らせる信号を綾花さんのみに許可する形で出力する。そして辺りを見回すと、ある女性と目があった。その女性もビーコンを出していて、それには綾花紗織とあった。

 彼女は花のような美人で、一緒にいた時間は夢のような素敵なものだった。話題に出たニュースや動画などは、どんどんグラスで共有されていく。それだけなら直接会わなくてもできるけど、彼女の姿や仕草もグラスには映し出されている。グラスで自撮りするのはオプションディバイスが必要で結構面倒なので、グラスを使ったビデオチャットはあまり普及していない。なので、こうした彼女の仕草が見れるのは結構貴重なのだ。

 そろそろ楽しかった時間もお開きにというところで、僕はちょっとだけグラスを外して直に彼女を見てみたいと思った。そうしてグラスに手を伸ばした瞬間、「ダメ」と綾花さんに止められた。
「それを外したら、魔法が消えてしまうから」
 彼女は、静かにそう言った。
「そうだね、確かに現実なんて見る必要はなかったよ。ゴメン」
 僕は素直に謝った。
 そうなのだ、全てはこのグラスに映し出されるもので十分なのだ。むしろグラスに映らない現実に、一体何の意味があるのか。
 そして僕は彼女を見送った。でもやっぱり、彼女の後ろ姿を見ながらグラスを外してみた。
 そこには誰もいなかったのだ。
 グラスをかけ直す。そこには小さくなった綾花さんの姿が見える。
 なんだか笑えてきた。やっぱり、グラスに映らない現実には意味がない。さっきまで笑い合っていた僕と彼女こそが本当なんだから。
 彼女が実は鶴だったからって、一体なんの意味があるのだろうね。