鶴が去る必要はない
僕はその日初めて、綾花さんに会いに行った。綾花さんはネットで知り合った女性で、とても気が合った人だ。直接話をしたいね、という話になり、今日待ち合わせることになったのだ。
『ayahanasaori「今待ち合わせ場所に着きました」』
僕の視界に、綾花さんからの連絡が浮かぶ。メガネ型のウェアラブルディバイス、通称グラスが一般化してから、もうずいぶん経った。
『わかりました。ビーコン出しますね』
僕はそう言って、自分の位置を知らせる信号を綾花さんのみに許可する形で出力する。そして辺りを見回すと、ある女性と目があった。その女性もビーコンを出していて、それには綾花紗織とあった。
彼女は花のような美人で、一緒にいた時間は夢のような素敵なものだった。話題に出たニュースや動画などは、どんどんグラスで共有されていく。それだけなら直接会わなくてもできるけど、彼女の姿や仕草もグラスには映し出されている。グラスで自撮りするのはオプションディバイスが必要で結構面倒なので、グラスを使ったビデオチャットはあまり普及していない。なので、こうした彼女の仕草が見れるのは結構貴重なのだ。
そろそろ楽しかった時間もお開きにというところで、僕はちょっとだけグラスを外して直に彼女を見てみたいと思った。そうしてグラスに手を伸ばした瞬間、「ダメ」と綾花さんに止められた。
「それを外したら、魔法が消えてしまうから」
彼女は、静かにそう言った。
「そうだね、確かに現実なんて見る必要はなかったよ。ゴメン」
僕は素直に謝った。
そうなのだ、全てはこのグラスに映し出されるもので十分なのだ。むしろグラスに映らない現実に、一体何の意味があるのか。
そして僕は彼女を見送った。でもやっぱり、彼女の後ろ姿を見ながらグラスを外してみた。
そこには誰もいなかったのだ。
グラスをかけ直す。そこには小さくなった綾花さんの姿が見える。
なんだか笑えてきた。やっぱり、グラスに映らない現実には意味がない。さっきまで笑い合っていた僕と彼女こそが本当なんだから。
彼女が実は鶴だったからって、一体なんの意味があるのだろうね。
僕が死ぬ瞬間
僕はアフリカ美術が好きだ。なんだか、『生』の生々しさが溢れているのがいい。今日も僕はアフリカの美術品を片隅に置いてある雑貨屋に立ち寄っていた。
いつもはただ眺めるだけだけど、今日はふと目についた品があった。笑っているように見える木彫りの像で、ちっともリアルな人間には似てないはずなのに、ものすごく生きている人間に見えた。
「お客さん、そいつが気になるかね?」
その像に見入っていたら、店員らしきおじいさんにそう声をかけられた。
「はい、なんだか目が離せなくて……」
そう答える僕に、おじいさんは説明をしてくれた。
「そいつは時の番人の像、と呼ばれている像でね。持ち主を好きな時代に連れて行ってくれるとか何とかという曰くがついとる」
おじいさんは、髭をさすりながらそんなことを言っていた。
「好きな時代へ……」
「そう。そんなことができるというのだから、きっと神様なんじゃろうな」
おじいさんの説明を間に受けたわけじゃない。でも、その曰くが気に入って、僕はその像を買ってしまった。
そうして僕は今、こうして自分の部屋で像を眺めている。もし好きな時代に行けるなら、僕には行きたいところがある。もしあの話が本当だったら……。そんなふうに想いを馳せていた時、像がまばたきをした。
「!?」
今一瞬見た光景を確認する暇もなく、像はみるみる変身をして人間の姿になった。そしてそいつは言った。
「私は時の番人だ。お前を一度だけ、好きな時代に連れて行ってやろう」
僕は驚いた。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。だからさっきまで考えていたことが自然と口をついて出た。
「僕が死ぬ瞬間に行ってみたい」
そう、これが僕の行ってみたい時代だ。僕はどんな人たちに看取られて、どのように死ぬのか。多分僕は、人一倍生きるのが怖いのだ。だから、『生』に溢れたモノに魅せられるし、自分の死が知りたい。
「わかった。目を閉じるがよい」
時の番人の言うがまま、僕は目を閉じた。そして目を閉じていてもわかるほどの光に包まれ、不思議な浮遊感を味わった。そして光が消え、重力が戻ってきて、僕は目を開けた。
そこは、僕の部屋だった。さっきまでいたアパートで、目の前には時の番人がいる。これはどういうことだろう?
時の番人は笑っていた。その笑みはとても嫌な笑みで、僕は全てが罠だったのだと悟った。
今が、僕が死ぬ瞬間なのだ。
###今週のお題「行ってみたい時代」
ちょんまげを結って愛を叫ぶ
その日、私は職場の休憩室で、いつものようにお昼のお弁当を食べながら、いつものようにお昼のバラエティを見ていた。そのバラエティ番組には、飛び入りの男性視聴者がそれぞれの覚悟を胸に、いまどき髪型をちょんまげにする、というわけのわからないコーナーがあった。
このコーナーが始まるのもいつものようにぼーっと見てたが、登場した男性を見て驚いた。この間ケンカして、しばらく連絡を取っていなかった彼氏だ。ディスプレイの中で彼は司会者にマイクを向けられ、こう言っていた。
「ケンカした彼女に誠意を見せて謝るため、ちょんまげにします!」
「いらんわ、そんな誠意」
私は思わずそう口に出していた。
「そうよねー、そんなので誠意を見せられても困るわよねー」
いつも一緒にお弁当を食べている同僚が同意してくる。よかった、ただのツッコミだと思われたらしい。こんなアホが彼氏だとバレたらさすがに恥ずかしい。
そう思ってるうちに、コミカルな曲とともに彼氏の頭にはバリカンが入れられていく。あのちょんまげの剃っている部分は月代って言うんだっけ?そんなことをなんとなく思ったが、しかし今日はここでこのままいつものようにお昼を過ごすことはとてもできなかった。
「ごめん、今日はちょっと寝不足だから、席戻って寝てるね」
「この時間は席の方が静かだもんね、分かったよー」
そう言ってくれた同僚に感謝しながら、席に戻る。うちの部署の場合、お昼休みは全員出払うので私以外誰もいない。静かなオフィスの中、私は目を閉じた。
あの番組のちょんまげコーナーは、前半後半に分かれている。前半は、月代の部分にバリカンを入れるところまで。それから番組は別のコーナーに移り、ちょんまげ志望の男性は番組の裏で髪型を整えられていく。そして見事にちょんまげ頭になったところを披露する、というのが後半だ。後半は、番組の最後になる。
私は想像した。彼氏が見事にちょんまげになってテレビで愛を叫ぶ姿を。あの彼氏だ、そのくらいのことはやる。断言する。
思わずため息をついた。学生時代から付き合っている彼氏は、社会人になってもイマイチそういう学生ノリが抜けない人だ。就職した先がエンタメ系の会社で、そういうノリはいつまでも大切にされているようだった。この間のケンカだって、学生ノリで食べ放題飲み放題のお店に行こうとする彼に、もうちょっと落ち着いたところで食事しないか、と提案したら起きてしまったものだ。情けなくて涙も出ない。
決めた。別れよう。私たちのすれ違いはもう修復できないところまで来ているのだ。
そう思ったら、彼が番組の最後、ちょんまげコーナーの後半で何を言うのかぐらいは見届けてやろうという気になり、目を開けて休憩室に戻った。
休憩室に戻りテレビに目を向けると、ちょうどちょんまげコーナーの後半が始まったようだ。見事にちょんまげが結われた頭になった彼氏がテレビに登場する。
「俺はバカだけど、一生彼女を大切にします!」
予想通り、テレビに向かって愛を叫んだ彼を見て、私は泣けてきた。本当に、どうしてこんなにバカでどうしようもなくて真っ直ぐなのか。これが本気なんだからタチが悪い。いっそのこと、単に私を話のネタにしていてくれた方が、簡単に振れて楽なのに。
そう、彼氏はいつだって本気だ。それはそこそこ長い付き合いでよく分かっている。
「あれ、戻ってきてたの?」
私に気がついた同僚が声をかけてきた。
「今日のちょんまげ男、どう思う?あの告白」
「うん、やっぱり好きだよ」
ふと口をついて出たのは、そんな言葉だった。どういうこと?と混乱している同僚にごめんと声をかけて、席に戻った。
昼休みは残り1分。急いで彼氏にLINEをしよう。